きみの名は。
心はいつも青森に!離れていてもちょっとずつ書くぞ、と思ったはずの夏季休暇。
気がつけば墓参りがせいぜいであとは実家に引きこもり、泥のように眠り、時々起きては実母の愛情ご飯を貪るばかりで青森に思いを馳せもせず、どころか正月ぶりの地元も満喫せず、という結果に終わってしまった。
ということで今からちょっとでも書く。
さて弘前の夏といえば?
…ねぷた?
弘前の夏のスター、君の名は?
そう、嶽きみ。
みんな大好き岩木山の麓、嶽(だけ)地区で生産されているおいしいとうもろこし=「きみ」、それが嶽きみだ。
とうもろこしといえば北の大地を思い浮かべる人も多かろう。
私もその一人で、去年、半分青森暮らしを始めると決まった頃に、弘前に親戚がいるという同僚が「弘前においしいとうもろこしがあるから、是非夏に食べてみて」と教えてくれるまで青森にとうもろこしのイメージが全くなかった。
「え?青森?おいしいとうもろこし?りんごじゃなくて?」
しかしながら、この同僚は非常に信頼のおける人であり、更に現地直送のものを食しているというから、間違いないはず…ということで、期待に胸膨らませて夏を待つことにした。
そしていよいよ8月。
スーパーを念入りに徘徊すると確かに「嶽きみ」なるとうもろこしが出現したのである。
来た来た!とまずは1本お持ち帰り(勿論会計済み)。
まずはスタンダードに茹でて食することに。
ピカピカの黄色の粒が一層色濃くなったところにガブリとかじりつけば「甘い!」と思わず声が出る。
みずみずしいのにしっかりと甘い。
噂に違わずおいしい!
「とうもろこし=北の大地」と安直な認識しかもっていなかった己の見識の狭さを反省し、ガブガブとかぶりついていたらあっという間に嶽きみは消えてしまった。
その日から可能な限りスーパーに通い、嶽きみを入手する生活が始まった。
そのうち「新鮮なものを生食するのこそ最高の贅沢」という話を家族が聞いてきたので、早速生でもガブリ。
生でもこんなに甘いのか、と目を丸くするほどの濃厚さ。
いやはや、恐れ入りました。
半分青森暮らし1年目早々、嶽きみに首ったけになった私である。
今年も夏季休暇の前は足しげくスーパーに通い、出始めの嶽きみを毎日連れ帰ってはガブガブと食した。
ここは九州か?と思うような(筆者は九州っ子である)、とても弘前とは思えない今年の殺人的暑さでも、嶽きみに会うためと思えば自転車を漕いで買い物に行くなんて余裕余裕。
ありがとう嶽きみ生産者のみなさん…。
さて、嶽きみは今頃本格的な出荷シーズンを迎えている頃だが、私といえば夏季休暇明けから半分青森「暮らせない」シーズンに突入し、青森から580km離れたところ(出典:青天の霹靂webムービー)にて一人しょぼくれて過ごしている。
土日だけでも弘前に戻ろうかしら、と財布とにらめっこしながら悩む、8月の折り返しである。
まだ受け付けているところもあるようなのでお取り寄せするもよし、弾丸旅行で弘前まで買い求めに行くもよし。
(新鮮さに勝るものはないので、できれば現地で食べてほしいところ)
これを読んだあなたも是非嶽きみの虜になって、半分青森「暮らせない」私の分まで存分に食べつくしていただきたい。
ねぷたにじゃわめいで、夏
初日は所用で泣く泣く見物を諦めたものの、昨日、今日と2日続けて定時で仕事を終わらせ、弘前の中心部・土手町まで自転車を駆ってねぷたを見に行ってきた。
「毎日見ても同じで、面白くないんじゃないか」って?
そんなことはない。第一、全てのねぷたが毎日運行するわけではない。昨日見ていないねぷたが今日は出てくるかもしれないのである。
それに、流石に一度でそれぞれのねぷたを隅から隅まで見られるわけがない。前見たねぷたでも、二度見て、三度見て、発見することもたくさんある。
そもそも、昨日と今日が全く同じねぷたが出てくるのだとしても、毎日見たっていいじゃないか。365日のうち、7日間しかねぷたは見られないのだから。
さて、弘前ねぷたがどんなものかご存知ない方もきっとおられるであろうから、wikipedia先生の力などを借りて簡単に書いておきたい。
弘前ねぷたの先頭を飾るのは津軽情っ張り大太鼓である。なぜだか郷愁を誘うお囃子と共にドドン…という音が近づいてくると、いよいよ始まるぞとワクワク…「じゃわめいで」くるものだ。
その後、各団体のねぷたが次々とやってくる。団体名、地区名を記した前灯籠・町印というものを先頭に、前ねぷた、大勢の人により曳かれて大型ねぷた、後ろに太鼓、笛、鉦のお囃子部隊という順でやってくる。
ねぷたは扇形に平面絵を描いたものが多いが、組ねぷた(3Dタイプ)のものもある。
また、前ねぷたは協賛企業や保育園の手になるものもあり、クラシカルなねぷたとはまた違う趣向を凝らしたねぷたが散見されるのも楽しい。
団体によってお囃子のテンポもピッチも様々であるのもまた面白い。
ゆっくり「ヤアアアアアアヤアアドオオオオ」と掛け声をかける団体が通って行ったかと思えば、続いてドンドコドンドンシャンシャカシャンシャンと早めの太鼓や鉦に「ヤーーーーヤドーーー!」という感じでちょっと威勢がよいのがやってきたりする。
「弘前ねぷた」の範疇に収まりつつも、夫々の団体が思い思いに自分たちのねぷたを披露しているこの感じが、なんともたまらないのである。
また、老若男女みんながあまり役割の別なく参加しているのも、弘前ねぷたの「個人的にたまらんポイント」の一つである。
実際に見るまでは、こうした伝統あるお祭りは男女の役割が明確に分かれていたりするものかと勝手に思っていたのだが、そうでもなかったので驚いたものだ。
(実のところは役割に偏りがあるのかもしれないが、明確に、厳密に分けられているという感じはしない)
例えば力が要りそうな太鼓は男性の役割、というわけではなく、結構女性も撥を握って勇壮に叩いているのである。
中には子供を乗せたカートを曳きながら「ヤアアアアヤドオオオオ!」と勇ましく掛け声の先導役をやっているお母さまもいたりする。凄い。実にパワフルである。
老若男女と書いた通り、子供たちも縦横無尽の活躍である。
保育園児が金魚ねぷたを掲げて「ヤーヤドー!」と元気いっぱい叫ぶ姿はこのうえないかわいらしさで、「うつくしきもの…」とまるで気分は清少納言である。
それだけに留まらず、前ねぷたを引っ張る、大人と一緒に大型ねぷたの紐を曳く、小さな太鼓を担いで叩く、笛や鉦を操る等々、年端もゆかぬちびっこたちも一通りの役割をこなしているのである。
子供だからと侮るなかれ。
母親に抱かれて練り歩く乳児(これがまた太鼓の音に泣きもしないのだ)も時々いるくらいである。
きっと弘前っ子は胎内にいるときから母親の心音レベルでねぷたの音を聴いて育っており、ことねぷたについては生まれた時からLv.16くらいの能力を持っているに違いない(生まれた時点で既にヒトカゲではなくリザードなのだ)。
書いても書いてもねぷたの楽しさをまだ書ききれないが、これ以上書くとまたじゃわめいできて夜眠れなくなりそうなので、今日はここで筆を止めることにする。
ヤーヤドー、ねぷたまつりがいよいよ始まる
夏の青森といえば?そう、ねぷたである。
ね「ぶ」た? いいえ、私が半分暮らす街、弘前はね「ぷ」た なのである。
一般にイメージされる、巨大な3D張り子が練り歩くのは青森市のもので、これはね「ぶ」た。
掛け声は「ラッセラー」。そして、白い浴衣に花笠、鮮やかな襷など衣装を身に纏ったハネトが踊り歩く、とても派手なお祭りである。
一方で弘前のね「ぷ」たは、扇型のものが主。掛け声も青森とは違って「ヤーヤドー」とまるで違う。
また、青森のようにびょんびょんと跳ね回るハネトもいない。
先述のように青森ねぶたは巨大な3D張り子が次々繰り出されるし、更に大企業がスポンサーとなって運行しており、時に話題になるようなデザインのものも練り歩いている(ちゅ~るねぶたなど)。
また、正装してルールを守れば他所者もハネトとして飛び回ることができる。
そして、フィナーレではねぶたを海上運行して花火もぶち上げる始末で、兎角大盛り上がりの派手派手なのである。
一方、弘前ねぷたは平面絵だし、人々は跳ね回らずゆっくりと歩いている。掛け声も勢いよく、というよりも「ヤーーーーーーヤドーーーーーーーーー」と比較的落ち着いたテンポである。そして、飛び入り参加はなく、各団体、つまり弘前市民がねぷたと共に歩いてゆくのを観客は見守るだけである。
もしかすると青森と比べて「地味」と感じる人もいるのかもしれない。
お祭りというのはその土地のものである。市民が作って、市民が歩いて、市民が見て楽しむ。なんといってもそれが第一である。
他所者にも知れ渡り、いっちょ見てみようかと全国から人を引き寄せるほどの祭りになりながらも、手作り感というか「地の祭り」の風情を保ち続けているのが弘前ねぷたの凄いところだと思う。
はんぶん青森日記?
みなさんは青森県についてどのようなイメージをお持ちだろうか。
りんご。
マグロ。
縄文。
雪。
これはひょんなことから半分青森住まいをすることになった者が、まずは自分の備忘のために書き始めた記録である。
そして、この世の中に晒しておけばひょっとすると誰かの目について、青森に行きたくなる人が出てくるかもしれないと思って、随分前に作って放置していたこのブログを引っ張り出して、ひっそりと公開するものである。
どこまで続くかわからない。
日々の雑事にかまけて3日と持たない気さえする。
しかしながら、青森に来て、目に入るもの聞こえるもの感じるものがこんなに面白いと思った日々のことを忘れたくないという気持ちは本物である。
だからできれば書いてゆきたい。
どこかの誰かに届けば尚うれしい。