ねぷたにじゃわめいで、夏
初日は所用で泣く泣く見物を諦めたものの、昨日、今日と2日続けて定時で仕事を終わらせ、弘前の中心部・土手町まで自転車を駆ってねぷたを見に行ってきた。
「毎日見ても同じで、面白くないんじゃないか」って?
そんなことはない。第一、全てのねぷたが毎日運行するわけではない。昨日見ていないねぷたが今日は出てくるかもしれないのである。
それに、流石に一度でそれぞれのねぷたを隅から隅まで見られるわけがない。前見たねぷたでも、二度見て、三度見て、発見することもたくさんある。
そもそも、昨日と今日が全く同じねぷたが出てくるのだとしても、毎日見たっていいじゃないか。365日のうち、7日間しかねぷたは見られないのだから。
さて、弘前ねぷたがどんなものかご存知ない方もきっとおられるであろうから、wikipedia先生の力などを借りて簡単に書いておきたい。
弘前ねぷたの先頭を飾るのは津軽情っ張り大太鼓である。なぜだか郷愁を誘うお囃子と共にドドン…という音が近づいてくると、いよいよ始まるぞとワクワク…「じゃわめいで」くるものだ。
その後、各団体のねぷたが次々とやってくる。団体名、地区名を記した前灯籠・町印というものを先頭に、前ねぷた、大勢の人により曳かれて大型ねぷた、後ろに太鼓、笛、鉦のお囃子部隊という順でやってくる。
ねぷたは扇形に平面絵を描いたものが多いが、組ねぷた(3Dタイプ)のものもある。
また、前ねぷたは協賛企業や保育園の手になるものもあり、クラシカルなねぷたとはまた違う趣向を凝らしたねぷたが散見されるのも楽しい。
団体によってお囃子のテンポもピッチも様々であるのもまた面白い。
ゆっくり「ヤアアアアアアヤアアドオオオオ」と掛け声をかける団体が通って行ったかと思えば、続いてドンドコドンドンシャンシャカシャンシャンと早めの太鼓や鉦に「ヤーーーーヤドーーー!」という感じでちょっと威勢がよいのがやってきたりする。
「弘前ねぷた」の範疇に収まりつつも、夫々の団体が思い思いに自分たちのねぷたを披露しているこの感じが、なんともたまらないのである。
また、老若男女みんながあまり役割の別なく参加しているのも、弘前ねぷたの「個人的にたまらんポイント」の一つである。
実際に見るまでは、こうした伝統あるお祭りは男女の役割が明確に分かれていたりするものかと勝手に思っていたのだが、そうでもなかったので驚いたものだ。
(実のところは役割に偏りがあるのかもしれないが、明確に、厳密に分けられているという感じはしない)
例えば力が要りそうな太鼓は男性の役割、というわけではなく、結構女性も撥を握って勇壮に叩いているのである。
中には子供を乗せたカートを曳きながら「ヤアアアアヤドオオオオ!」と勇ましく掛け声の先導役をやっているお母さまもいたりする。凄い。実にパワフルである。
老若男女と書いた通り、子供たちも縦横無尽の活躍である。
保育園児が金魚ねぷたを掲げて「ヤーヤドー!」と元気いっぱい叫ぶ姿はこのうえないかわいらしさで、「うつくしきもの…」とまるで気分は清少納言である。
それだけに留まらず、前ねぷたを引っ張る、大人と一緒に大型ねぷたの紐を曳く、小さな太鼓を担いで叩く、笛や鉦を操る等々、年端もゆかぬちびっこたちも一通りの役割をこなしているのである。
子供だからと侮るなかれ。
母親に抱かれて練り歩く乳児(これがまた太鼓の音に泣きもしないのだ)も時々いるくらいである。
きっと弘前っ子は胎内にいるときから母親の心音レベルでねぷたの音を聴いて育っており、ことねぷたについては生まれた時からLv.16くらいの能力を持っているに違いない(生まれた時点で既にヒトカゲではなくリザードなのだ)。
書いても書いてもねぷたの楽しさをまだ書ききれないが、これ以上書くとまたじゃわめいできて夜眠れなくなりそうなので、今日はここで筆を止めることにする。